(H・N様)
娘が中学2年生の夏、我が家に大嵐が吹き荒れました。
それからと言うもの、不登校・問題行動…他人事と思っていた事が次々と
起こりました。
親としての挫折感、絶望感……真っ暗な中で、出会ったのが神田さんでした。
「子どもの事は置いといて、夫婦を見直しなさい」
の言葉はとても衝撃的でした。娘のさまざまな行動も、「そのままの自分を受け止めて、愛してよ」という叫びだったのです。
あれから七年…始めは何事もない方が良かったと思っていましたが、今は事があったからこそ、気づき、足を止められ、学ぶ事ができたのだと、娘に心から感謝しています。
「知る事は愛である」とある方に教わりました。
私達の人生も子供達の人生もこれからです。
これからもさまざまな問題にぶつかって行く事でしょう。それでも何が起きても、「大丈夫」と思えるような豊かな人生を歩んで行けるように、これからも学び続けて行きたいと思います。
(H・W様)
私が神田先生に出会ったのは、四年前の春でした。親としてすっかり自信をなくし途方に暮れていた私は、友人の誘いで先生の講演会へ出席しました。講演の後のお茶会で先生は私の話を最後まで黙って聴き、「辛かったでしょう。でもあなたが悪いわけではないのよ、よく頑張ったわね。」と慰めてくださいました。誰にもわかってもらえないという思いの中にいた私は、受け止めてくれる人がいる喜びに涙したのを昨日のことのように覚えています。その日から私の親学の学びが始まりました。学びを重ねるたびに感じることは、自己肯定感の大切さです。人が健全に育つということは自己肯定感が育つということです。
親は無償の愛の子供に注ぎ、子供は安心してその愛の中で成長して行くのが本来の親子の姿だったはずです。大切なものを亡くした日本は、親子関係の原点を見つめ直す時期に来ているのではないでしょうか。
(H・O様)
世間から見たら、私は特に問題行動を起こす子供がいる訳でもなく、夫婦仲が悪い訳でもない、平和な家庭の母親です。そのわたしが、何故6年もセミナーに通っているのか…。
以前より私は、お節介なのか、世話好きなのか、はたまたA型のせいなのか、他人の事が気になったり、他人の目を気にしたり…でもそれも、そういう性格だと思っていました。
それが、私の生育歴の中で作られていたものだと気付かされたのです。私の父や母が良く言っていた「人に笑われるなよ。後指さされるなよ」の言葉、他人の目を気にしながら、良い子として育った私の原点がそこにあったのだと気付いた訳です。その私が無意識下で自分の子供たちにも”いい子”を求めていたのかも知れません。これから先、少々不安ながらも何かの時「何が起きたか」ではなく、「何故起きたのか」と、内なる心に耳を傾け、これまでの学びで積んできた心の引き出しを開きつつ「何が起きても大丈夫」と、人生を肯定的に歩んでいけそうな気がしている私なのです。
(Y・I様)
私が神田さんと初めて挨拶を交わしたのは、十年程度前の児童相談所でした。
その頃私は、子どもの不登校で悩み、学校の先生のダメなところばかりを探し、愚痴っていたように思います。でも今、「親学」を通して、学び、求めていかなければならないのは、親(大人)である私の方であることに気づかされました。
あの頃子どもに「どうして学校に行って、みんなと同じように行動できないの?」と、口には出さないまでも、私の思いは見え見えだったと思います。でも時を経て私は、セミナー帰りの道々、涙が出るほど嬉しかったり、心がさわやかになっていったのです。
何故でしょうか。今までわからなかった真実の自分を知り、それを受け止められつつある事実、そして、それによって、子どものありのままも受け入れようとしている親としての自分がそこにいたからかも知れません。学ぶことに遅すぎると言う事はないと思います。
これからも、自分をもっと好きでいられるよう、学び続けたいと思うのです。
(E・O様)
色々、心に残る言葉とかあるのですが、「何も問題のない子どもはいない。もし、いたとしたらその親が鈍感か、その子どもがよっぽど出来た子だ」という話が、とても心に残りました。
もしかして、私は鈍感な親?うちの子は、よく出来た子?今まで、そんな事、思った事もなかった。それから、もって色々なことを知りたくて、色々な事を学びたくて…
今日に至っております。あたり前だと思っていたことをある日、「気づく」ということの必要さ、そして、自分を見つめる勇気、「自分さがしの旅」…まだまだ、旅の途中ですが、本当に「気づき」を与えてもらって良かった。ちょっと立ち止まって考えられる自分になれて良かった。これからも、自分の人生が、より豊かに、そして、幸せになれるように、色々な事を学び続けて行きたいと思っています。「期待はせず、希望をもって!」私の好きな言葉です。